セブでフィリピンスーパー台風22号の被害にあいました

数日前から離れたシャルガオ島に台風が上陸するので
フィリピン気象庁から暴風大雨洪水警報の連絡(ショートメール)が連日来ていたことは知っていました。


ウェザーニュースでも台風の移動予測もセブ島を通ることは知っていました。
ただ警戒はしていても、スーパー台風というのがどんなにすごいものか想像できていませんでした。

セブ島にスーパー台風(ライ/オデット)が上陸

12月16日木曜日19時ごろでしょうか、雨はすでに降っていましたがだんだん風が強くなってきました。
すると、まず停電が起こりました。
この停電は、フィリピンのよくあることの一つで、また数十分したら回復するだろうと思っていました。
しかし、停電は回復することはなく、だんだんだんだんと風が強くなるいっぽうでした。
雨は降っていましたが部屋の中には入ってこなかったので今まで開けていた窓を閉めました。

この時、インターネットはまだつながっていたので、
LINEで、”停電やし、ネットも途切れるのでもう寝るしかない”と友達にグループチャットをしていました。
ホントに停電で、できることがなかったので寝ることにしました。

セブ 台風 被害

そして、小一時間うとうと寝ていたら、真っ暗の中、風音が激しく、
また12階立てのコンドミニアム(マンション)の12階に住んでいるのに強風の音プラス何か物が飛んでぶち当たっている音がガチャンガチャンと響き
一体何事かと飛び起きました。
そして、窓の外を見てみたのですが、まるで洗車マシーンの中に閉じ込められた感じで、
雨が窓ガラスに飛びついてきて、停電で外も真っ暗なこともあり、目の前の先が何も見えず
ただただ強風の音と雨がガラスを叩く音と物が飛び交ってぶつかり合う音が混じっていました。

この状況で、もし何かが窓に向かって飛んで来たらガラスが割れて
部屋の中が大損害を受けると思ったので、慌ててガラスができるだけ飛び散らないようにガムテープを貼りました。
あとは何も飛んでこないように祈るしかなかったです。
もう何もやることはないので、もう一度ベットにもどり
目を閉じながら、この状況が一刻も過ぎ去るようにと祈るだけでした。
その後も風の勢いは止まらず、部屋が揺れるのを感じました。
地震でなく、強風でビルが揺れることを初めて体験しました。

そこから一気に恐怖を覚え、一体何ができるのか必死に考えましたが
全く何もできることがありませんでした。
唯一できたことは、不安定のネットですがYouTubeで台風の位置情報と移動推移をライブ中継しているチャンネルを見ることでした。
すると台風の中心はセブ市ではなくナガ市でした。
つまりこの強烈な状況は半径何十キロにも渡っていることです。
そしてこの状況はまだ1、2時間は続くと。
翌日の朝どうなっているのか?
停電は復旧しているのか?
そう思いながら、YouTubeをつけっぱなしで寝ていました。

フィリピンを襲った台風被害が明るみに

翌日、窓の外は、確かに屋根が剥がれ、トタンが飛んでいる風景や野外レストランのテーブルや椅子が飛ばされている風景も見れましたが
思ってた以上の被害はないのかなと見て取れましたが、
窓から上を見上げた瞬間、1階上の屋上にあたる天井が飛ばされていました。
昨夜の物音はこれが原因だったのだろうと思いました。
すぐに屋上に上がってみると、天井は剥がされ、ベンチがぶっ飛んで破壊していました。
重い鉄と木でできたベンチが飛ばされ、そのベンチを針金で結んでいた鉄柵も破壊されていました。
幸いそのベンチと柵が、屋上から地上に落ちることはなかったのですが、もしこれが飛んで落ちていたことを想像するとぞっとします。

次に行動をとったのは、停電が続いているのに気づき、冷蔵庫の中身を使っていかないとなぁと思うも
電気が使えないと料理もできないので、出前でも取ってみるかとGrab Foodのアプリを立ち上げると
ほとんどのレストランがcloseなのに嫌な予感がしました。
しかたなく、IT Parkまで足を運びレストランを探しましたがほとんどが営業されていませんでした。
ジェネレーター(自家発電)があるお店は営業していましたが、大行列ができて入りませんでした。
コンセントのあるお店も大行列ができており、みんなスマホの充電で必死でした。
もちろん、IT Parkも被害を受けていました。オフィスビルは見受けられなかったですが、大木が倒れてたり、植木が破壊されていました。

私はIT Parkの離れにあるガスを使って調理しているカレンデリア(食堂)で食料を調達し帰宅しました。
しかしまだこの時はIT Parkや私のコンドの周りしか被害状況を分かっていない私は停電はいつかすぐ復旧するだろうと思っていました。

台風が過ぎ去って、2日後YouTubeに次々とセブ各地の状況がアップされだしました。
それらは私の想像をはるかに超えた被害状況で、この時初めて自分は被災者なんだと感じました。
これは復旧に相当の時間がかかると容易に想像できたからです。

それからは、
今後飲み水、食料をどうやって確保すべきか、
どうやってケータイやパソコンの充電をすればいいのか
ランドリー屋は閉まっていたから洗濯は自分でしないといけないなとか、
クーラーも扇風機もない寝苦しい夜をどう過ごしていくべきか
などを考えては、ゾッとしてきました。

フィリピン 台風 被害

4日後に、セブにある日本総領事館で、台風被害相談窓口ができたので
飲食の問題や停電復旧の目途を相談しに行ってみました。
行く途中、ガソリンスタンドにはまるで駅前の自転車置き場のような状態で
バイクがギッシリ止まっていて、その後も車道の2車線のうちの1車線を数キロに渡ってガソリン待ちの車で渋滞していました。
これは、スタンドのガソリンが底をつきガソリン車が運んでくるのを待っているという状態です。
いつガソリン車がやってくるか、わからないのにフィリピン人は朝から晩までまっているようです。

あと、そこら中のATMの前には現金をおろしたい人の大行列がこの日も目に余りました。
このATMでも、すでに現金がなくなっており、いつ現金輸送車が補給しにくるかわからないのに待っているATMもあるようです。

そして、領事館に着くと、相談窓口には私以外誰もいませんでして、すぐに対応していただきました。
しかし、質問をなげかけても、結局は電話・ネットがつながらない状態なので、領事館も情報を収集できていないようで明確な回答はいただけませんでした。
逆に、私に起こっている状況をヒアリングする形で、被害状況をまとめ、日本へ支援の連絡を求めるとおっしゃられていました。

領事館からの帰り道、いろいろ歩きながらローカルの町をみてみたんですが、
電気がないなか、なぜかパン屋が営業していて食パンやバターロールパンを買わせていただきました。115ペソでした。
フィリピン人の陽気で気さくな面が垣間見られて、勇気をもらいました。
みんな大変な状況ですが、なんとかして生き残れる手段を見つけて生きています。

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